黎明の時間帯、富士吉田市街地と火口登山路を歩く人の灯り
富士山に関してだけの言い方かもしれませんが、時間の長い短いはあるにせよ登山口に着けば普通は仮眠くらいは取るとしたものですが、このスタイルはそうすることなく、その足で登山することを弾丸ツアーって言うんですね。
大迫力の宝永山火口壁と点在するオンタデ群落
そもそも考えていた富士登山のスタイルは駐車場で仮眠をとるか、あるいは早朝まで寝て、それから行動開始するものでした。
ところが、その日の夜20時半過ぎ、いざ水ヶ塚駐車場に着いてみると、登山口であるはずのこの駐車場の雰囲気がこれまでの認識にあるそれとは違っている気がしました。
「もしかして、このまま登るのが普通?」
こんな風に感じたのでした。
山側を見上げると、くっきり見える大きな黒い山に所どころ動く灯りも見えます。
ちょうど駐車場でお尻同士をくっつけあった形で停めた車の3人グループが準備をしていたので声をかけさせてもらうと、何とかOKもらい相乗りして5合目まで向かいます。
着いてみると、います、います。こんな時間にも同じような人だらけ、です。
最後の準備をしたら21時45分、いきなりスタートです。
何処の山にも増して、ここは老若男女+インターナショナルです
ここからは暗闇のなか、足元だけを見て交互に足を上へ、前へ出すのみ。
とはいっても、多くの人がいるので、ほとんどは皆にならって歩くだけですけど・・・。
登山口で東京・代々木と横浜からという、このお二人に出会ったのが運の付き。
右が代々木、左が横浜からの青年二人
代々木の彼は富士山9回目。横浜の彼も富士山にはあまり足を向けないにしろ近隣や東北の山を歩かれるようで、彼らと8合辺りまでほぼ同行の形で、色々話を聞かせてもらいながら、楽しく歩けました。
中でも、山頂でのご来光を観るポイントや、この日の日の出の位置までご指南いただいて写真撮影には大いに助かりました。
何合目だったかな~、信仰的なモノが出現です
暗闇の登山路は次第に傾斜を増し、さらに上へと続き、腕時計の指す高度計は奥穂高岳や北岳の標高を超え未知の領域へ。
睡眠不足と高度による影響で、やや体調に変化があるような気もしましたが、登山路脇で身体を横たえ仮眠している人たちや酸素を吸入している人たちがいるところを見ると、まだまだ平気なんだと感じさせられます。
9合目
これ以前から登山路脇にもこんなスタイルで横たわる人を散見できます
9合5勺まで来ると山頂までの道のりでの休憩ポイントは最後となり、標高差もあとわずか。
見下ろすとおびただしい数のライトがこちらに迫ってくるのが見えます
中央上のオレンヂ色の灯りが水ヶ塚公園・駐車場
3時10分、鳥居をくぐると浅間神社のある山頂到着です。
山頂・浅間大社
あれ~っ、思った以上に人がいませんね~。
7~8合目あたりに居た多くの人たちは一体、どこへ行ってしまったのでしょうか。
ここにはあの人たち全員が登ってきているとは思えず、やや閑散としたように見える境内はちょっと変な感じがしました。
ここにさえ着けば先ほどの代々木の彼から聞いたことを実践するだけで、これまでも日の出の時刻に合わせ時間調整しながら登ってきましたが、その時刻までにはまだ2時間弱も余裕があるので気分的に大いに助かりました。
で、ここは剣ヶ峰へは向かわず東の方へ向かいます。
聞いた通りのご来光を観るポイントを探りつつ足を進めると、いかにもこの辺りらしき地点に到着。
腰を下ろして待つことにしましょう。
すぐ下の登山路を歩く人はこの時間でもひっきりなしで、特にツアー登山と思しき団体のガイド役が大きな声を出しているのが、いかにも富士山なんだな~、と他の山域とは一風も二風も違った雰囲気を感じさせています。
おおよそは足早に剣ヶ峰へ向かう人たちでしょうが、ちょっと高い位置から彼らを見ていると、何だかせわしな過ぎる気がしました。
こちらはここでゆっくり御来光を待ちます。
そうです、多くの人はご来光の時間調整を山頂でするのではなく、きっと高度順応も兼ねて頃合いの場所で仮眠をとったり休憩したりしているので、そのせいで浅間神社境内は閑散とした感じだったのでしょう。
上空にはやや雲があり、ご来光自体はそう多くは期待できそうにはありませんが天気はまずまずです。
次第に東の空が明るくなる
空が明るさを増すとともに富士吉田の街灯りはぼやけてきて、代わりに山中湖の形が見えてくるようになります。
曇りの日や雨の日、ガスに巻かれる日もあるでしょう。
気温は思ったほど低くなく、風も、ほぼないので特に寒さは感じずこれなら上等です。
その時が近づくにつれ周りもいつの間にか人が沢山です。
眼下に見える山中湖の遥か彼方からの日の出
結果的に日の出は、そう大したことはありませんしたが、吉田口方面から上がってきた人たちの中に今ぞとばかり
「ばんざ~い、バンザーイ」
と叫ぶ声が聞こえてくると、つくづく
「富士山やな~。」
と思ってしまったのは私だけでしょうか・・・。
朝の光景は日の出からしばらくして、とんでもなく素晴らしい光景を見てくれることがあることを私は知っているつもりで、今日ここでもそれが起こるかと期待しつつ、しばらく同じ場所に滞在しましたが、残念ながらかなわぬことでした・・・。
期待した日の出後の風景はやや幻想的な光景を見せるも、ここまでで終わり
例の二人から聞いた通り、「時計回り」でお鉢廻りすることにします。巡礼ですね。
戻る形となった浅間神社はすごい人だかり。今になって多くの人が、それぞれのルートから登ってきたのでしょう。
ふと見ると、この鳥居って2、3日前にテレビで見た鳥居じゃないですか。つい先っきも見たはずなのに、分かってなかったのは暗くてよく見てなかったってことですね。
大変失礼しました。
浅間大社・鳥居
ほっほ~、浅間神社ってこの場所の神社だったんですね。今の今までこの神社は吉田口の上がり切ったところにある神社だとばかり思ってました。
浅間大社越しに見る剣ヶ峰
お札を調達したらお鉢廻りです。
お鉢はこれまでにすでに見る機会はありましたが、思ってた以上に大きく、それよりも火口までが急傾斜に感じました。
スキーを携えここまで来て、いざこれを滑り降りたうえ再度登り返すだけの気力が残っているかどうか、何とも微妙です。
剣ヶ峰と未だ残る火口の雪渓
最高所標柱の人物的記念撮影のため列を作る人たち
かつては日本の気象の最前線的な役割を担っていた富士山測候所跡
遠い昔、新田次郎の小説読んだな~
剣ヶ峰では記念撮影のための渋滞はパスして、標柱のさらに奥の標識だけ撮って最高点到達は終わりとしました。
記念撮影も大変なほどの混みよう
最高所標柱のさらに少し先の
電子基準点のほうがわずかでも標高は高い気がしましたが・・・
雪渓と遥かに八ヶ岳連峰
剣ヶ峰の先に未だ残る2~30メートルの雪渓のトラバースは下り基調なこともあり、十分注意しながら歩きます。
これも彼らに聞いた通り、ここにきて、ようやく南アルプスが姿を現せてくれました。
右端、甲斐駒ヶ岳、鳳凰山から白峰三山塩見岳、左端に小河内岳まで
農鳥岳と塩見岳間に中央アルプス・宝剣岳方面と、さらには御嶽も
仙塩尾根、塩見岳から赤石岳、聖岳、上河内岳、茶臼岳まで
大沢崩れを見下ろす場所からの南プスも、ぜひ見ておきたい景色でした。
右端の甲斐駒ヶ岳から左端の光岳までずらりと並ぶ姿は、いくらそこよりもこちらの方が標高が高いとはいえ、ある意味あちらからこちらを見るよりも壮観感は高いです。
北岳の右の仙丈ヶ岳や荒川三山のそれぞれ、大きな赤石岳の右側に位置する小赤石岳もきっちり判別できる自分が嬉しくなります。
北アルプスまでは遠望できなかったので、それが少し残念でしたが、ここでも日の出同様、十分な景観を見ることができ満足のいくものでした。
すっかり短くなってしまっていましたが朝霧高原に伸びる、名残的な影富士も見れましたしね。
時間の関係で短くなってしまいましたが、くっきり見えました
遠景は南アルプス南部
山中湖を遥かに見下ろして歩く
吉田口を登り切ったところにも神社はありました。
つい先ほどまでここにあるのが浅間神社だと思っていた神社です。
その名は久須志神社、今初めて知りました。
須走口ルートの下山口を過ぎると朝日を見た地点まで周回してきました。
ずいぶん日は高くなりましたが、それでもまだ7時。
あとは下るのみですが、さてどこから下りますか・・・、って、二つに一つなんですが。
迷わず御殿場ルートにしましょう。
御殿場口ルート下山口
準備万端、スパッツにマスク装着したら7時30分、スタートです。
こちらの登山路は状態が良く、数あるルートの中で登山者も最も少ない前情報通り、ずいぶん歩きやすいです。
言わば、火山の登山路ではなく普通の高所の登山路を下っている感覚でどんどん下って行けます。
宝永山を見下ろして赤茶けた山肌の登山路を下る
しかし、ここで富士山の大きさというか高さというかを実感させられました。
それというのも、しばらく下っても標高は目に新しい3,500メートルとか3,300メートルとかで、眼前に広がる景観も荒涼とした殺風景な風景しか見えず変化がないのでなおさらです。
眺望が利けば遠く箱根や伊豆の山々を見晴るかせながら歩けるはずなので、もっと楽しみを持って歩けそうですが、あいにく今日は霞んでいます。
御殿場ルート名物、大砂走りは7合目からで、ここでようやく標高は3,000メートル強。
かなり下ってきた感じでも、まだこの標高ですが、振り向き見上げると、標高差700メートル弱あるので山頂は大きく高いです。
一歩で3メートル下るという砂走りルートは御殿場口ルートの下り限定の名物ルートで富士登山競争で見たことがあります。
時間短縮できるのが最大のメリットですがルートを間違えてしまうと駐車場に戻れなくなるかもしれない一大事になるので、特に分岐は慎重に見極めなければなりません。
ここまでに、昨日登ってきた富士宮ルートを指す案内板を、ほぼ目にすることがなかったのでかなり不安がありましたが、GPSで確認するとルートに違いはなく安心して大股で砂走りを一気に下ります。
心の中でのかけ声一発。
「それっ!!」
砂走り途中より山頂を見上げる
ここでの山体は赤茶色から茶色っぽいグレー色に変わる
こちらは年のせいもあって、そこまで無理はしませんが、軽装の人なら前転しないよう注意が必要なほど早く下ることも可能です。
スパッツのおかげで楽しく下れた一方で、足元を保護するものを持たない人は、かなり苦労しているようにも見えました。
たぶんゆっくり下っている人は、そちらの部類の人だったんでしょう。
次の機会に準備すれば、もっと楽しく下れますよ。
宝永山への分岐にきて、ようやく『富士宮口』を指示する案内板が現れ、ふた安心です。
天気が悪いと、ルートファインディングはかなり難しいでしょうね。
注意が必要です。
逆に御殿場口に下る人も間違えて富士宮口方面へ下ってしまうと、同じく大変なことになるので同様です。
こんな場所で見る植物は普通の場所に比して、より一層美しく見える
この場所からは宝永山を右手に望み、見下ろせば奈落の底へと続くかのような荒涼とした裾野がどこまでも続き、到底水の気配のなさそうなやせ地にオンタデがぽつりぽつり咲く一種異様な光景の場所。
この先の宝永山山頂からの景観もそうですが、このような光景は日本では他に目にすることはできないのではないでしょうか。
「壮観」
この言葉以外に言葉が見つからないほどの宝永山火口と富士山
宝永山は富士山山頂から見るとずいぶん下方に位置しますが、それでも標高は2,693メートルもありますから母体の富士山の高さ、大きさをここでも実感することができます。
火口壁と山頂
山頂から見る火口や火口壁、それらを従える富士山の景観は壮大で、ここでは点在するオンタデの群生が唯一の生命体です。
山頂から下り切ったらトラバース気味に富士宮口ルートへ戻ります。
西側の宝永第一火口縁を乗り越すと樹木が現れ、これまでの景観とのあまりの違いに、おかしな感じさえしました。
正規ルートの6合目に合流したのは10時過ぎ、富士宮口ルートではこの時間も多くの人が山頂目指し登っています。
ということは一日中、四六時中それなりの数の人が山頂へ向け登っていることになります。
ひいては、それが毎日で、なおかつこのルートは吉田口や須走口といった河口湖方面からのルートに比べると、まだ人が少ないらしいですから、どれだけの人数の人が富士山に登っているのでしょうか。
富士山は大きかったですが、登る人の数もハンパなかったです。
最後は上高地・小梨平を歩く感じで、そこよりもやや急な道を下ると10時25分、5合目に無事下山しました。
短い時間の滞在での富士登山でしたが、この山の大きさは十二分に感じ取れる満足のいく山行でした。
富士宮口5合目
長文にもかかわらず最後まで拝読いただき、ありがとうございました。
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