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2023年8月15日

12-14/08/23 最奥・日帰り温泉

わが国では最奥に位置するといわれる高天原温泉・からまつの湯に、雲ノ平から日帰りで行ってきました。

雲ノ平より夕映えの黒部五郎岳
この色合いは決して誇張したわけではありません

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2017年10月10日

08-09/10/17 甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳

パタゴニア

南アルプス・北沢峠ベースで一日目、甲斐駒ヶ岳と二日目、仙丈ヶ岳に行ってきました。


仙丈ヶ岳、藪沢より見る甲斐駒ヶ岳、摩利支天と鋸岳稜線


駒津峰山腹の黄葉と仙丈ヶ岳

甲斐駒、仙丈をワンセットとして考える際の王道的なルートでの二山。

絶好の好天に恵まれ大展望も欲しいままに得られましたが、いくら王道とはいえ共に標高三千メートルを前後する山だけに中々楽はさせてくれませんでした。

楽でなかった(思ってもみなかった)第一弾は早朝の仙流荘発、北沢峠行きのバス。

二便目か三便目で乗車できましたが、4時過ぎに切符売り場に並んでもこの始末。
昨日が雨だったので三連休を当て込んでいた人の多くが今日の入山に変更したようです。
ただ、本来は6時5分が始発ですが4時半ころからバスが始動したので5時10分頃にバス乗車できました。

6時過ぎには北沢峠に着くことができたので、この後の行動を考えるとかなりタナボタ的なところもありました。

第二弾は着いた長衛小屋キャンプ場。
このキャンプ場を利用するのは初めてにしろ、今日の混み具合はある程度想像できたので、これも踏まえるとできるだけ早い便のバスに乗りたかったのです。

考えていたよりも早い時間帯に到着できたものの、すでに多くのテントの花が咲いていて、「ちょっとマズイ。」と思ったものの、何とか小屋からそう離れない場所に適当な場所を確保して事なきを得ました。

後からも続々とキャンパーは到着して、翌日下山してみるとテントはさらに増え、かなり下流の左岸にも張ってあるようでした。

涸沢などとは違い、かなり閉塞感があるので、雰囲気も含めてもう少し余裕があればいいのですが・・・。

第三弾は甲斐駒ヶ岳の人の多さ。
これは、かなり想定外でした。

駒津峰に着くまでは、まだそれほどに感じませんでしたが、ここで北沢峠からのルートを合わせると一気に人が増えました。
おまけにここから山頂までは、ほぼ一本の道を多くの人が歩くので追い越しはできず、また追い越してもすぐ前に人がいるので意味を成しません。
岩場があれば、当然のように渋滞します。
皆にならって歩を進めるしか仕方ありません。

山頂はかなりの人数の人たちで、大げさに言えば一杯でした。
日帰りで北沢峠から上がってくる人が多いんですね。
摩利支天に行く人の少なさは帰りのバス時刻が気になる人もあるようですし、駒津峰から仙水峠へ周回コースで下る人の多さに、そう思いました。

第四弾は甲斐駒ヶ岳から北沢峠に下山して真っ先に飛び込んだ、こもれび山荘でのこと。
ここで、名物のカレーを食べることが長い樹林帯を下る際の唯一とも言っていいモチベーションでした。

前述の人の多さが影響したこともあって下山したのが14時30分頃だったでしょうか。
玄関先にあった盾看板で見た『本日のランチは終了しました』は承知の上で中に入ってみると・・・。
当然、終わってました。ガックリです。

今宵は鍋焼きうどんに雑炊でした。

もちろん、このような楽ではないことばかりでなくイイこともたくさんありました。

まずは二日間とも絶好の好天に恵まれました。
山頂からの展望はどちらの山でも素晴らしく、見通しがイイことも手伝ってぐるりとよく見えました。

甲斐駒ヶ岳では中腹の黄葉が盛りで、仙水峠から仰ぎ見る摩利支天を従えた甲斐駒は圧巻でした。

仙丈ヶ岳では早起きしたおかげで小仙丈ヶ岳からみる素晴らしい朝陽に出逢えました。
そもそもが朝日を見ることは山行の際の大きな目的に違いないのですが、今回は初日にカレーが食べられなかったお陰で二日目は早朝出発に迷いがなくなった結果ともいえそうです。
稜線で朝日を見ると必然に下山時刻は早くなるので、これはもう『渡りに舟』。
カレーは10時からの提供(13時30分まで)なので余裕です。

で、焦がれたそのカレーですが、二日間待った甲斐がありました。
兎にも角にも絶品です。
こんなに旨いカレーは食べたことがなく、これだけを楽しみに足を運んでもイイです。

決して過言ではなく、もちろん金品など一切貰ってもいません。
それほど美味しく地ビールとの相性も抜群で、ホント最高でした。

ちなみに、ココのカレーはカレーライスでなく、スープカレー+ごはん、です。

そうそう楽はさせてくれませんが、これが昨今の山行形態と考えれば存分に愉しませてもらえた甲斐駒、仙丈の山旅でした。

でわ、まずは、今山行の一番のごちそうだった、そのカレーから-。


こもれび山荘・オリジナルスープカレー 食前


同 食後

具材は鶏もも肉、にんじん、ピーマン、なす、ゆで玉子、チーズ入り。
1,200円也が高いか安いかは、あなたの舌次第です。

以下、時系列画像です


仙水小屋を過ぎてゴーロ帯にさしかかると背後に仙丈ヶ岳が望める


正面に摩利支天が聳え立つ


黄葉真っ盛りの仙水峠より甲斐駒ヶ岳、摩利支天を見上げる


駒津峰よりみる甲斐駒ヶ岳、摩利支天


同、鋸岳と遥かに北アルプス連峰


甲斐駒ヶ岳より仙丈ヶ岳をみる


ガスに巻かれてしまいそうな摩利支天


摩利支天にて


駒津峰東斜面、ダケカンバの黄葉が素晴らしい


日の暮れたテント場
最盛期の涸沢ほどではないにしても、かなりの数のテントがひしめき合っていた

仙水峠へはミーハーチックにサントリー・南アルプス天然水の宇多田ヒカルがコマーシャル撮影で登ったという栗沢山経由で行ってもよかったかな~、なんて思ったりもするけど、あの等高線見るとキツそうかな。


小屋のキャパは、そう大きくないので小屋前は意外と閑散


黎明の富士
南プスの稜線では、特に朝は何といっても彼(彼女)の右に出る存在は見当たらない


夜明け前、紺青の空にワン(富士山)ツー(北岳)スリー(間ノ岳)が見事なスカイラインを魅せる


小仙丈ヶ岳でその瞬間を待つ人たち


キタ~、って歓声も聴こえてた


鳳凰三山、地蔵岳・オベリスクのやや左からの日の出


朝陽に輝くオベリスク


朝陽に映える仙丈ヶ岳と小仙丈カール


中央アルプス、御嶽山と影仙丈


槍・穂高連峰、笠ヶ岳大遠望

北アルプス稜線は南の乗鞍岳から白馬三山のさらに北まで、すべてが見える感じ。


甲斐駒ヶ岳、鋸岳と八ヶ岳連山


北岳・小太郎尾根の上に優美な姿の富士山


花の山らしい愛らしい標識
中央アルプスと御嶽山


仙丈ヶ岳から南望してみる南アルプスの名峰

長い仙塩尾根の先、塩見岳を中央に悪沢岳がほぼ重なり合い、荒川中岳、前岳の奥に赤石岳、聖岳と、ずらり三千メートル峰六座が並ぶ。

さらに右に兎岳や光岳、池口岳、左は蝙蝠岳や笊ヶ岳。


西望してみる北部中央アルプス、御嶽と加賀白山大遠望

上画像の中アは左から三ノ沢岳、宝剣岳、千畳敷カール、木曽駒ヶ岳、将棋頭山、経ヶ岳まで。


山頂から、このワン(富士山)、ツー(北岳)、スリー(間ノ岳)
を見るのが目的の人もいたようなので再掲しておきます


馬の背尾根のシャクナゲと藪沢カール


山梨県側からみた北沢峠


マイテントと長衛小屋、摩利支天


仙流荘で二日分の汗を流して今回の山行は終わり

後記
今回の山行で仙丈ヶ岳に登ったことで国内の三千メートル峰のすべて(主峰の付属として除外されている7ピークも含む)に登頂したこととなりました。



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2012年10月8日

07-8/10/12 加賀白山

パタゴニア
加賀白山に行ってきました。

一日目の雨模様から一転。二日目はこの上ない好天に恵まれました。


室堂より御前峰をみる

紅葉は、もちろん素晴らしかったのですが、ここでは展望歩道からの風景について。

南竜ヶ馬場から室堂へと導かれる「展望歩道」ルートは、こんな日のために命名されたに違いないと感じさせる大展望を得ながらのルートでした。

日の出の時刻(5時50分頃)から逆算して、4時30分に南竜ヶ馬場のテント場を出発しました。

かなりの冷え込みで木道には霜が降りていますので足元に気を付けなければなりません。

緩やかに登ると登山道となります。

柳谷標識(流水あり)を過ぎると、やや急登となるものの稜線が近づくのを感じられるので苦にはなりません。

ここまで、ヘッドランプ頼りのほとんど真っ暗闇の中の歩行でしたが、稜線に出ると、明るくなりかけた東側に天と地を分ける稜線がくっきりと見えています。

天気はバッチリです。

間もなくアルプス展望台がありましたが、日の出まで時間的にまだ余裕があるので、明るくなる様子を見ながら先へと進みます。

稜線上をしばらく歩くと次の標柱があったので、ここで日の出を待つことにしました。


北アルプスの大パノラマ

茜空の下、北アルプスの北端、僧ヶ岳、毛勝三山から南端の乗鞍岳、御嶽までがずらりと並ぶ素晴らしい大観です。

北端に近い剱岳はピラミダルな三角で特徴的ですが、槍~穂高連峰にあっては槍ヶ岳の鋭鋒と大きく切れ込んだ大キレットや穂高岳がそれぞれをアピールしているかのようです。

そんななか最も目を惹かれるのは意外や意外、南端に大きな山容を横たえる御嶽でした。

あの大きさは何なんでしょう。

山頂部こそ過去の噴火で吹っ飛んだ感じですが、すそ野の大きさといえば半端ではありません。

今なお山頂部が存在するのなら、もしかして富士山よりも大きいのではないかと思わせるほどの存在にも見えました。

乗鞍岳の南すそ野がひときわ明るくなると、やがて、その時はやってきました。

残念ながら綺麗くっきりとは行きませんでしたが、それはそれで見応えのある見事なものでした。

※下の三枚は紛れもなく同じ縮尺です

北方稜線~剱岳~立山

槍ヶ岳~穂高岳

木曽御嶽

ここから左手後方に見えているお椀のようなピークが御前峰だったと分かったのは、一時間近くも長居したなかのかなりの時間が経ってからのことで、このあと、ようやく室堂へと向かいました。

今回の山行紀はこちら

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2011年10月11日

09-10/10/11 北穂高岳

パタゴニア

上高地から涸沢経由、北穂高岳、行ってきました。

すさまじい数のテントの花咲く涸沢

涸沢のテントの花の誘惑に負けず北穂まで頑張りました。

マイ・テント内より富士山、南アルプスを望む

過去最高の数百張りか、あるいは千以上とも目される涸沢となら雲泥の差で、ここ北穂テン場に張られたテントはわずかに十数張り。

南稜テラスに位置するテン場なので、それはそれは展望抜群。

前穂高岳から奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳までぐるりと、よ~くみえます。

要は穂高連峰が西穂高岳をのぞいて全部見えてる勘定ですから。

朝は朝で、テントのジッパーを開けると・・・、眼前に富士山です。

昨日は見えなかった富士山が朝焼けに見事に浮かびだされ、『おはよう』を言ってくれているかのように正面に大きく見えていました。

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2011年8月16日

2009年9月23日

20~22/09/09 一期一会・槍平小屋にて

パタゴニア

槍平小屋、沖田さんと(あ)
今回の槍平小屋訪問は(あ)が小二の時、双六から槍に登った帰路に立ち寄って以来のことで、小屋のご主人沖田さんと9年ぶりに会うこととなったばかりか、つい一ヶ月ほど前のお盆の穂高山行の際に出会ったある人とも再会することとなる、想い深いものとなった―。

9月20日朝、新穂高をあとにしたら蒲田川・右俣林道を進む。

穂高平の放牧場をみて、先月、奥穂へ向かった際に利用した白出沢のルート分岐の先で林道は終わる。

白出沢から見上げるとジャンダルム方面が遥かに高い。
「よくもあんなところまで行けたものだ。」
と同時に
「これから、ほぼあの高みまで行かなければ・・・。」

これからは登山路を行くが傾斜は緩い。

チビ谷を渡る頃には左手の右俣谷の流れは次第に足元近くを流れるようになり、やがて河原に出ると滝谷出合い。

雄滝はこの時期になってもまだ轟々と流れを落とす。
なるほど、その上には大きな雪渓と、それらを見下ろすかのようにドームが異様な形でそびえたつ。

左手の右俣谷はいつしか流れを小さくし、振り返れば蒲田富士や涸沢岳が見える。
南沢を渡り、もうしばらくして清流の流れる小さな小川に出合うと、そこは槍平の一角。

明るく開けたところを歩くと槍平小屋に着く。

以前ここを訪れた際は、このルートを下りで使ったためか、あるいは朝が早く日が差していなかったためか、こんなに明るく開放的なところだとは感じられずにいた。

当時は下りで使ったからか新穂高までずいぶん距離があるとの印象だったが、登りで利用して、ある程度の時間をかけてここまで来てみると槍平の良さをしみじみと感じられ、静寂のたたずまいの只中に身を置ける雰囲気の良さを感じずにはいられなかった。

槍平・旧小屋跡より現小屋と奥丸山方面
到着直後はあたりの状況がよく把握できなかった。

というのも、かつては現小屋の正面左手(山側)に旧小屋があり、槍方面へは現小屋の正面を通り、これらの間の狭い通路のようなところを通って奥へと向かう記憶だったのに、今はなんだか様子が違って大きな桟敷のようなものが目に入ってきた。

「これは何だ~。」
とりあえず皆に習いその上に腰を下ろしてみる。

しばらく、この雰囲気を感じながら桟敷上にたたずむと、
「そうか、これは旧小屋を取り壊した後の床をそのまま桟敷のようにして使っているんだ。」

ようやく理解できた頃、小屋付近をうろうろする一人の人に目が行った。
「あれはこの小屋のご主人、沖田さん。」

以前一緒に写真を撮ってもらったので、これはきっちりと記憶に残っていた。

で、下の画像が2000年8月16日、宿泊した翌日、下山前に玄関前で一緒に撮ってもらった一枚。

2000年8月16日撮影
沖田さんや自分自身が小さくなるはずはないので、この画像を見るとこの9年で(あ)が如何に成長したかがよくわかる半面、自身が歳を重ねて行くことに時の移ろいを感じさせられ少し悲しい。

小屋内に入ると、どのテーブルで何を料理して食べたかまでが見事によみがえる。

以前に自身のページの中のどこかで書いた記憶があるが、人の記憶は大したもので、何年経とうが当時と同じ光景に出くわすと瞬時に当時の記憶がよみがえりその場面にタイムスリップする。

見えるものは何一つと言っていいくらい変わりなく、9年という歳月が経っただけの光景が目の前にあった。

フロントにおられる沖田さんに声をかけると、以前の印象とは少し違う饒舌な沖田さんがそこに居られた。

当時は少しぶっきら棒な印象だったが、真っ先に永らくぶりに訪れたことを話したせいか、今回はずいぶんと違う気さくなイメージで、談笑中には2007年年末、小屋前で起こった雪崩事故のことや、これからの南岳新道のルート詳細を聴かせてもらえたことは大いに参考になった。

「ゆっくりでいいから、できるだけ休まずに歩くことが肝要。」
これからの急登に際してのアドバイスだった。

また、ある人がかつてこの小屋でバイトをしていたことを槍平小屋のHPをみて知っていたので、その人のことを聴いていた。

「あ~、彼なら新穂の駐車場が一杯らしいから、今、栃尾の家に車を置いて上がってきてるところだよ。」

まさかそんな事とは思わず話に出したことなのに、こんなことがあろうとは思ってもみないことが起こった。

彼とはお盆山行の際、北穂の小屋で出会った山渓の取材に同行していたカメラマン、K君だ。

この日は会えないままこちらが小屋を発ったが、結果的に下山時、再度、槍平小屋を訪れることとなり、北穂の小屋で出会ってからわずか一カ月後に再会することとなった。

槍平小屋内
彼と再会したのはそれから二日後だった。

霧雨混じりの曇天の中、ようやく南岳新道を下り切り小屋に入ると、フロントにはあわただしい様子の沖田さんが座っておられた。

「無事、下山してきました。」

挨拶を交わすと、間髪いれずフロントから奥に向かい声を掛けられた。
「KEITA~!(話してた親子が来てるぞ~)。」

このひと言は二人の関係の親密さを端的に表していた。

また、二日前、後に小屋に着いたK君に我々親子連れが尋ねたことを話しをされていたことの証しであり、どんな感覚で声を掛けられたにしろ、こちらが話したことをK君にきちんと話してくれたいたことが察知でき、とても嬉しい思いがした。

やがて奥から現れたK君は、当たり前ながら一ヶ月前に北穂で会ったK君だった。

ボッカのケイタ君(槍平HPより無断転載)
もちろん、こちらとしてもこんなところで彼と会えるとは思ってなかったのだが、この出会いはこちらよりもむしろK君の方が驚きが大きかったようだ。

それもそのはず、彼にしてみればこちらの存在はその他大勢の内のたった二人に過ぎないのだから・・・。

しばらく話しをしたり小屋前で写真を撮ったりした後、黄葉の始まった槍平をあとにした。

槍平をあとにする
今回の山行記 南岳、天狗原はこちら

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