2022年8月19日

14-17/08/22 天空の山小屋

ブナ立尾根を登り切り烏帽子小屋テント場付近より見る三ツ岳
ブナ立尾根を登り切り烏帽子小屋テント場付近より見る三ツ岳

パタゴニア

歳を重ねるうち、なかでもここ数年は
「初めて登ったブナ立尾根に、この歳になって登ったなら、どんな感じで登ることになるのだろう。」
こんな思いが湧き上がっていた。

いつ、どこの山に行くときも、それなりの目的をもって行くようにしていて、それが遠征となるとなおさらで、今回もそれに漏れず欲張り的な普段よりもはるかに大きな目的をもって出かけてきた。

ガスに包まれる槍ヶ岳
ガスに包まれる槍ヶ岳・大槍、小槍と北鎌尾根
今山行中、槍ヶ岳を見たのは、この時だけだった

今から40年以上も前のこと、何も知らない若者(私のこと)が初めて北アルプスに歩を踏み入れたのが、他ならぬ今回の、この高瀬ダムから裏銀座のコースだった。

当時のことで覚えていることといえば、後になってみると完成間もなかった高瀬ダムの石積みの堰堤の巨大な岩を見上げながらヒーヒー言って登ったことくらいで、登り切った後の堰堤からの風景はもちろんダム湖に水がどの程度あったかとか、見上げた稜線が見えたかどうかすらまったくと言っていいほど記憶にない。

かろうじて不動沢に架かる吊り橋はあったように思うが、当時そこにキャンプ場はなく、登山道がまさに始まる基部の、猫の額ほどの狭い場所でテントを張ったことはよく覚えている。

信濃大町から七倉までの移動手段や七倉温泉の存在もあやふやで、もちろん現在のような立派な山荘があった記憶はなく、おそらくはそこからか、さらに手前の葛温泉から登山口までの歩きで一日目の行程を終えた。

何度もある長いトンネル歩きと、最後に現れた何度も折り返すスパンの長い堰堤の登りのつらさが先行きを不安にさせたが、これも翌日以降の初・北アルプス登山の序章だった。

烏帽子小屋
烏帽子小屋とニセ烏帽子

朝一からのブナ立尾根は、想像と違っていて初っ端から、さらに厳しかった。

当時、大学二年生だった自身は合宿を終えた同級生の吉田君に同行を頼み、彼の個人山行に同行する形でこのルートを一緒に歩く計画を立ててくれた。

新田次郎の本を読み漁っていた自身は二年生になったWV部の彼に妄想の中に膨らむばかりの槍ヶ岳の姿を、ぜひやこの目で見てみたいと懇願したところ、これまでに何度か部や個人山行を経験してきた立場から、こちらのような言わば素人的な者でも一人なら手に負えなくはないだろうと快諾してくれていた。

歩き始める前の約束事として「50分ピッチ」で、行こう。だったような気がする。

50分歩いて10分休憩、こんな感じ。

烏帽子小屋までのブナ立尾根のコースタイムは約6時間だったと思うので、これを6回ほど繰り返すと今日の目的地に着ける彼の計算だったと思う。

急登との認識はあったものの、何分、大きな山はもちろん、この山行に合わせて練習したのはほぼないといっていいほどの素人に、この坂は厳しく約束の50分がなかなか来なかった。

確かに荷も重いこともあり、最初が特に長かった。

マイ・ザックは持っていなかったので部の背負子を借りたうえ、それに横置きの一斗缶とザックを縦に積み重ねたスタイルだったような。

前を歩かせてもらっていた自身の背負子の底に、彼は幾度、頭をぶつけただろうか。

今のように整備が行き届いてなく、というより必要最低限の整備具合で、よく言えば自然のままの姿を生かした登山路。

これぞブナ立てを地で行く不規則な階段状になったブナの根っこの登路だったので前足を上にあげ後足を引き上げる際、その都度ワンクッションができてしまい、後続から体を持ち上げようとする彼の頭が自身を押し上げるように、ぶつけたものだ。

最初の1ピッチをなんとか終えた後の最初の休憩時、ここまでの歩みの鈍さを見かねたか、あるいは悟ったか、次からは「40分にしよう」と緩めてくれた。

ピッチは短くなっても坂の距離はもちろん縮まらない。

その後のことはよく覚えてないにしても、決められた時間が早く経つことばかりを願って、とにかくひたすらに足を動かせることに専念。

足元と時計ばかりを気にしながら、何とか烏帽子小屋までたどり着くことができた。

何ピッチかかったかなんて覚えてるはずもないなか、尾根のどのあたりだったからか遠くを望めた時には「あれが槍か」と、想像以上にとんでもなく大きく見えた槍の穂先に鳥肌が立ったことはよく覚えている。

後に聞いたところによると、上高地までの今回の計画が遂行できないのではないかと危惧したようだった。

ハクサンイチゲ
ハクサンイチゲ

シナノキンバイ
シナノキンバイ

野口五郎岳
三ツ岳に遅くまで残る雪渓と野口五郎岳

三ツ岳の登りや水晶小屋のある赤岳に向けての急登も、きつかったように記憶している。

翌日の泊地が三俣だったか双六かだったのも記憶にないが、これ以降、西鎌尾根から槍、穂高方面はのちに歩いた。

朝日
野口五郎岳で見る朝日

ウサギギク
ウサギギク

北アルプスのもう一つの五郎岳である黒部五郎岳の山頂には昨秋ようやく立ったので、あえてこの際、もう一つの五郎さんも、の意味も込めて野口五郎岳と、さらに北アルプス最深部界隈で唯一到達していない赤牛岳を経由して、長い長いと悪名高い読売新道も下ってみようと考えた。

コースタイムは長くなってしまうが、そこには水の豊富な地ならではのご褒美が待っている。

高天原のように源泉とはいかないまでも黒部のこんな奥地でもお風呂に入れるとは、これほどありがたいことはない。

薬師見平
読売新道より見下ろす薬師見平
あいにく奥に見えるはずの薬師岳はガスに覆われたまま

読売新道から見下ろす黒部湖、黒部ダム
黒部湖と水面の先端に黒部ダム

奥黒部ヒュッテ
奥黒部ヒュッテ

東沢のイワナとニジマス
居合わせた釣り師の今日の釣果、ニジマスとイワナ

奥黒部から入山地点の七倉温泉までをどのようなルートで帰るべきかは大いに悩んだところだった。

机上の地図上ではいくつか選択肢があった。

まず一つは、ある意味、素直に黒部湖岸を長々と歩き、その日のうちに黒部ダムから扇沢、信濃大町へ出て交通機関で七倉へ戻る。

一見、高低差がない湖岸歩道のようだが、これはこれでダムまで終始、丸太梯子の連続で神経を使う歩行を強いられそう。

最大のメリットは、平の渡し船に乗れることで、せっかくここまで来たなら実体験として一度は乗ってみたい思いは以前からずっとあったが、他は楽しさに欠けるかもしれない。

あとは、どれも奥黒部という谷底から再度主稜に出て登山口に戻り、その後それぞれの手段で七倉へ戻るもの。

船にも乗れて風景も楽しめそうなのは平の小屋から五色が原へ上がって一ノ越経由、室堂か黒部平またはケーブルも使って黒部ダムへ出るコース。

しかしながら、ザラ峠から一ノ越手前に聳える龍王岳までの登り返しの標高差がかなりあり、加えて交通機関を使う場合はどれもそうならざるを得ないが、時間の制約に少なからず縛られてしまい気分的につらい。

歩くだけならペース云々は抜きにして足を前にさえ出せればいつしか到達できるものが、時間に追われてしまうと、いきなりそうは行かないことがある。

さらに、交通機関に定員が設けられているものもあり、これはこれで時間内に到着できても予定通り乗車できるかどうかもわからず、考えようによってはさらに精神的負担は増す。

針ノ木谷の入り江
目にも鮮やかな色合いの黒部湖

この際、船に乗ることをあきらめると針ノ木谷へと入るルートがある。

このルートのメリットは定時運航の船に乗る必要がなく、前述のように時間に縛られることなくヒュッテを出発でき、梯子の歩行も時間に縛られることがないので少しは余裕をもって通過できそう。

針ノ木谷側6時20分発の朝一の渡しに乗ろうとすると、ダムからのものよりも短いながらヒュッテから乗り場までも相当の距離があり、ヒュッテ主人に聞くと3時間は見ておいたほうが良いとのことで、となると遅くとも早朝3時半ころにはヒュッテを出発しないといけない。

ここでは積み残しはないだろうが、真っ暗の中、未知のあの丸太梯子を歩くのはかなりの負担に違いない。

ただ、時間に縛られることのない針ノ木谷へと入っていくルートも、七倉へ戻るには距離が近くメリットが多いかと思いきや、デメリット的なことがないわけではない。

もちろん船窪乗越への登り返しは承知しているつもりだが、そこまでの沢沿いのルートの状態が不透明なことが大きい。

さすがに、この谷の源頭である針ノ木峠まで上がるスキルは持ち合わせていないので、峠を経て針ノ木雪渓を下って扇沢へ出るルートは鼻から選択肢にないようなものだが、船窪乗越への取り付きの船窪出合いまででも何度もの渡渉があるので条件次第ではかなりの不安が伴う。

針ノ木谷渡渉部
南沢出合いにはロープが架かる(これより上流は補助具なし)
ここで沢靴に履き替え、渡渉したりジャブジャブ歩いたりを繰り返す

針ノ木谷
長めの高巻きを経てガレ場に出ると左奥(右岸側)に崖が見えてくる
沢に降り水量の少なくなった中をしばらく歩く

滝
船窪沢出合い近くまで遡上して出くわした滝

船窪出合いまででも、それなりに時間を要するー。

確かに渡し船も経験したかった。

でも、それにも増して経験しておきたいことがそこにあったから実際に踏破した今回のルートを選択することにした。

針ノ木谷を船窪出合いまで遡上し尾根を急登してたどり着く不動岳、七倉岳間、船窪岳の主稜線からは、あくまで好天ならの条件付きながら、地形的に正面に槍ヶ岳、穂高岳の一端までも望むことができる。

主稜線に出た途端、大きくえぐれた渓を隔てた先に聳える特徴ある岩稜のピークはこれまでに何度か見たことがあるので、さて、ここからの景色はどんなものか、ぜひこの目で確かめたい。

かつてブナ立尾根から見えた穂先に鳥肌を立たせられた景観に、わずかに遠くなったここから再び鳥肌的なものを立たせられるのか。

いろんな思いがあった中、今コースを選んだの最大の要因は、どちらかというと天候に左右されることのないところにあった。

船窪小屋
船窪小屋管理人の塩ちゃんこと塩川さんは思いのほか寡黙な方だった

それは天空の稜線に立つランプの宿、船窪小屋に泊まることだった。

40数年ぶりに訪れたくなっていたブナ立尾根と、ぜひ一度は泊まってみたかったこの小屋を考えたときに色々取り混ぜ、ずいぶん遠回りして訪れたのが今回のルートだった。

大町市街地
日の出間際の大町市街地と右下に七倉ダム湖

船窪小屋
雲ノ平が天空の楽園なら船窪小屋は天空の稜線に建つ山小屋
好天なら画像中央に表銀座から槍、穂高連峰までが横一列に望める

コマクサ
実はコマクサを目にするのは今回が初めてのことだった

七倉尾根のブナの大木
七倉尾根の下部に広がる見事なブナ林帯

七倉温泉の水鏡
七倉温泉露天風呂の水鏡に映る高瀬川沿いの広葉樹の緑

この冬に体調的な転機があり、
「こんな思いを持ったまま歳をとっていいものか。」

人生、誰もがみな、今日が一番若い。今を逃すとチャンスはない。

かつて苦労させられたブナ立尾根は今も確かに楽ではなかったが、当時ほどのきつさを感じることなく稜線まで上がることができた。

烏帽子小屋付近から目にした三ツ岳の印象は当時とあまり変わりなく大きかったが、今回は稜線上ではここから野口五郎小屋までの区間だけが風雨に晒されないなかの稜線漫歩だった。

今回、槍ヶ岳を見たのもここからだけだったし、初見のコマクサはじめ、たくさんのお花も咲いていた。

東谷乗越から水晶小屋までの登りはもっときつい印象として残っていたが、今回は雨には降られてはいたが風があまりなかったのが幸いしたからか、意外にもあっさり着いてしまった。



船窪小屋はうさわ通り、素晴らしい場所に建つ天空の小屋だった。

コロナ禍に加えて悪天予報で敬遠された背景はあるにしても、前夜の奥黒部ヒュッテに続き、ここでもひとり独占して宿泊できたことは、以前では特にこんなハイシーズンでは決して考えられない。

せめて翌日くらいは天気回復の希望を持っていたが、こんな経験ができればそれもいいだろう。

あくまで下った印象だが七倉尾根の傾斜は半端ない。

標高差もそうだが登りで上がった北アルプス三大急登といわれるブナ立尾根よりもさらに急登(下降)だった。

歳をとった今も、いろんなことをこんな風に感じられれば上等だろうか・・・。



またどこか行こう。

今回の記録は ヤマレコ で


BMW・GC, エクスペディション(日帰り以外の山行), 山小屋泊山行, 山歩き、登山, 山野草、ガーデニング,

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