2009年5月31日
31/05/09 小高御位山~高御位山 with (ひ)
朝からの農区の溝掃除が思わぬ早い時間に終わったので、そこで貰ったお弁当をつかいに(ひ)を誘って高御位山に行って来た。
ルートは無難な成井からとして駐車場に着いたものの、階段の歩行ではあまりに芸がないので、小高御位山経由で山頂に上がることにした。
小高御位山に上がり稜線分岐に向けて歩いていると、ちょうどこの時期の高御位山を代表する花となりつつあるササユリが一輪咲いていた。
この花は花弁が二重になっている珍しいもので、今日これ以降に見た何輪かのササユリにも同様のものは見かけることはなかった。
こんなことなら写真に撮っておけばよかったと思ったのは、すでにけもの道を下っているときだった。
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2009年5月23日
23/05/09 高御位・点の記
今から百年以上も前、当時は未踏とされた剱岳の測量を手がけた様子を記した剱岳・点の記を最近、何十年かぶりに読み返してみると、これまでほとんど見向きもしなかった三角点に少なからず興味がわいてきた。
調べてみると高御位山にも山頂付近に三角点があるので、今日はそれを見ることを第一の目的として山頂に向かった。
具体的な場所はなぜか、あまり見晴らしの良くない社殿の裏側。
これまで何度もそのそばは歩いているので目にしたことはあたものの、マジマジと見るのは今度が初めてだった。
設定場所としては見晴らしのいい露岩の上がベストだろうが、そこに設定することは不可能なので、ちょっと気の毒な場所とも思える社殿の片隅に備えられたのだろうか。
いずれにしても、この小さな石柱にも設定までには色々な経緯(いきさつ)があるに違いない。
すぐそこに位置する露岩の上にあがれば、いつものように大展望が広がっていた。
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2009年5月16日
16/05/09 高御位山再訪
長尾から山頂に上がり小高御位山経由で成井へ下りたあと、再度山頂に上がり長尾へと下りました。
長尾からいつものコースで山に入って行くと間もなくウグイスのさえずりが聞こえてきた。
先に剱岳の際、剱沢の長次郎出合でもウグイスが鳴いていたことを思い出した。
同行のSさんと
「こんなところにもウグイスがいるんだね。」
このとき、半信半疑に聞いたこの鳴き声は、耳をこらせて聞くこともなく紛れもなくウグイスのものだった。
どんな経緯であのウグイスが標高2,000メートルを超えるあの場所にいたのかはよく分からない。しかし、今聞こえてきた鳴き声はあのときと同じ。
ここ、高御位山のウグイスははたして井の中の蛙(かわず)なのか、そうでないのか。
彼らに「そこに行ってみれば」と云う術はないし、また云ってみたところで伝わるはずもないし・・・。
人はあらゆるところに足を運べ、そこで見聞したことにそれぞれの感情をもって正対できる動物なのだ。
そして、それを持って進化していけるのが人であることを、つくづく知らされるのである。
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2009年5月6日
04~05/05/09 一期一会・剱御前小舎にて
出会いの地、剱岳を眼前に望む剱御前小屋を訪れたのは前日、御山谷を黒部側へと滑り、一ノ越に宿泊したのち立山、別山と縦走し今日の宿泊地として訪ねたものだった。
山小屋の造りはどこも同じようなもので、入口を開けなかに入るとまず広めの土間があり、その傍らには登山靴を脱ぐことなく対応できるような位置にフロントともいえる小さな窓口があるから、いの一番に小屋番さんと顔を会わすことになる。
その窓口の向こうに座る、この小屋の受付をされている人の顔を見た瞬間
「どこかで会ったことがあるんじゃないかな?」
と感じた。
宿泊者らしき人との応対の口調が聞こえてくると、益々その思いは大きくなって行く。
あの風貌と物腰の低いしゃべり口調。これはあの時の人に違いない。
ダメ元で自身のモヤモヤを晴らすため勇気を出して聴いてみた。
「以前、薬師沢小屋に居られませんでしたか?」
と。
すると、そのとおりで薬師沢小屋には三年ほど前までいて、今はここでお世話になっているとのことだった。
人間の記憶力は大したものである。
と同時に一瞬のうちにその時の記憶が脳裏に蘇えるから不思議としかいいようがない。
もちろんこの時点ではこちらのことはどこの誰だか理解できておられないと思ったので、
「子供と一緒にお世話になり、一緒に写真を撮らせてもらったりもしたのですが・・・。」
などと、いかにも他の人とはちょっと違う特徴的なことを話してみると、薬師沢では宿泊者がそう多くなかったことや、この人の出身地とこちらの住所が近かったことから話が弾み、夕食後に長らく三人で話をさせてもらっていたからか、間もなくこちらのことを思い出してくださった。
それにしても、こんなところでこんな人と再会するとは夢にも思わないことが現実に起こったから、びっくりするやら嬉しいやらで驚きは隠せない。
以前はいた(あ)が今日はいなかったものの、この日の約4年ぶりの出会いは自身にとってはとても感慨深い出会いとなった。
翌日、小屋を発つ際
「今度、ここを訪れるときは、ぜひ(あ)と一緒に来たいですね。」
「帰られたら息子さんによろしくお伝えください。」
最後まで温和な人物像は以前の印象と何も変わりなく、
「ぜひ再訪を!」
との念を強く持ちつつ別山乗越をあとに雷鳥沢を雷鳥平へと滑り降りた。
ツアーの記録はこちら
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2009年4月19日
19/04/09 夏のような高御位山
新池駐車場から反時計まわりで北山~高御位山~長尾。
そこそこ風があって快適といえば快適だったが、まだ4月であることを考えればとんでもなく暑かった。
昨日の朝日新聞・地域版に、下記の記事が出ていました。
それが関係しているのかどうか、これまで小さな祠のある最も高いピークにあった立派な表示板が、今日は見当たりませんでした。
ちなみに、その板に記されていた標高は304mでした。
『山のアルバム』 は こちら
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2009年4月13日
12/04/09 雨の大桜
岩井畝の大桜に逢うため雨中となってしまった中国道を走らせた。
中国勝山を過ぎると、院庄辺りから降り出した雨はさらにひどくなり山中に入ってもやむ気配はない。
主要路をそれ、さらにか細くなった急な山道をしばらく走ると、それは目の前に不意に現われる。
小さな社殿とともに佇む姿は、花びらが小さなこともあってか特筆するほどの大きな桜の樹とは感じなかったが、すぐ目の前にある何軒かの住まいの守り神として存在してきた意義は、きっと大きなものに違いないと感じられた樹だった。
このあと向かう予定だった『醍醐桜』 は こちら
2010年4月10日『岩井畝の桜』 と『夜の醍醐桜』は こちら
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2009年4月10日
2009年4月9日
09/04/09 満開の桜と
近くの河畔で満開の桜をバックにCLUBMANをパシャ!
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2009年4月5日
05/04/09 高御位山
長尾から高御位山、市ノ池公園。
午後から高御位山に上がりました。
山頂からの風景は春霞のせいかよくありませんでしたが、山麓の公園で繰り広げられる花見の光景もこれと同様、いかにも日本の春らしい、なんだかよく分からないぼんやりとした風景でした。
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2009年3月29日
29/03/09 東大山・振子沢
往路での鳥越峠への登りや、振子沢の全容を見るようになってからでも源頭までの登高は意外と長い。
そればかりか振子沢は大山の東に位置するため稜線に出るまで北壁側の展望は開けない・・・。
源頭まで登り詰め北壁側の光景を目の当たりすると
「これが標高2,000メートルに満たない山か?」
と思わせる、決して人を寄せ付けず、ただ荒々しさを鼓舞するかのような見事な景観に、つらかった登高の苦労も一気に吹っ飛んだ。
昨今、中国地方においてこの人の名を知らない人はいないのではなかろうかと思わせるほど、山スキー界において彼の名は広く知れ渡っている。
その第一人者の彼に彼のホーム・ゲレンデともいえる伯耆大山の、それも他に人のいない振子沢源頭稜線で、ようやく会うことができた。
こんな言い方になるのはネット上では以前から知る存在であり、これまでに何度か会う機会があったにもかかわらず、その機会を逸してきたからだ。
我々三人が奥大山から振子沢を喘ぎ喘ぎ源頭まで登り詰めようやくひと段落したころ、ユートピア方面から稜線上を上がってきた人がこちらに向かい大きな声を挙げるのが聴こえてきた。
このときは誰に向かってか、何を叫んでいるのかもよく分からず、適当に大声を張りあげて返事をしていたのだが、しばらく経ってさらに近づいた位置から再度、声をあげたときには、はっきりとこちらの名前を呼ぶ声が確認できた。
こちらもその声に呼応するように彼と思われる名前を叫んでみると、彼はまさにその人。
この後、お互いが稜線上を歩み寄り、かねてから一度は会いたいと思っていた彼に、最良のロケーションともいえる大山の稜線上で会うことができたのだった。
今日、これまでにすでに元谷上部を滑って来たという彼ら二人は、ターゲットとしていた剣谷をこのあと颯爽と滑り降りて行った。
彼のweb上でのこの日のファイルはこちら
奥大山スキー場、発 7:25
振子沢源頭、着 12:20 同、発 14:00
奥大山スキー場、着 16:25
『山のアルバム』 indexは こちら
movie by ささやんさん 2010.03.22
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2009年3月21日
21/03/09 高御位山~鷹ノ巣山往復
長尾から高御位山に上がって、大勢の人たちでにぎわう山頂でお昼ご飯を食べてきました。
最近はこの時期の負の風物詩ともいえる黄砂のことをメディアで目や耳にすることが多く、今日もきっとその影響で展望はよくないだろうと思っていたら、なんのなんのそんなことはありません。
明石大橋や小豆島もくっきりとその姿を現し、ここ最近ではもっともよく見えました。
三月とは思えない暑さにからだは少し参り気味でしたが、時間に余裕があったので鷹ノ巣山まで足を延ばし姫路方面を見たあと、再度高御位山まで稜線を戻り長尾へと下りました。
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2009年3月16日
15/03/09 氷ノ越え~氷ノ山~旧戸倉峠
その場合の起点となる地点、三ノ丸へと至るルートはいくつか考えれるが、今では一般的となったスキー場からのルートでそこへ向かうにはあまりに芸がないので、今日は氷ノ山の北西に位置する氷山名水から入山し、氷ノ越え、氷ノ山山頂を経て三ノ丸に向かうことにした。
下山後の車の段取りをした上、氷山名水をIさん、Sさんとともに出発。
(8時10分)
きれいに見える東山~鳴滝山を背景に新雪の上をサクサク歩く。
スキー場のリフト利用して三ノ丸へ上がるルートなら、今頃きっと多くの人に踏み荒らされズタズタに違いないだろが、こちらのルートは入山者はなく真っ白なヴァージン・スノーにトレースする。
曲者の雑木の灌木帯を抜け出迎えてくれたのは、きれいに化粧した赤倉山西面の樹氷。
氷ノ越え手前は急登に加え氷化した古い雪に悪戦を強いられたものの、つぼ足も交えなんとか氷ノ越え着。
(9時40分)
そこに着くと山頂から下ってきたという若者たちのグループがいた。
彼らはそれなりの装備で冬の氷ノ山に来たようだが、その中のいで立ちがちょっと変わった一人にSさんがひどく興味を示した。
それもそのはず、彼は冬の山に入るには似つかわしくないモノを携行していた。
マウンテン・バイクだ。
自身は雪のない時期にも氷ノ山でマウンテン・バイクに遭遇したことがなく、こんな時期にそんな人と初めて遭遇したのだからSさんが驚くのもうなずけるが、
「何をしようとして、そんなものを・・・?」
が我々三人の率直な意見。
その旨尋ねると、彼は彼なりに携行した理由があったようだが、いま一つよく理解できずじまいだった。
Sさんは
「こっちが(こちらが)新聞記者だったら明日の新聞にこの写真を載せてあげるんだけど、あいにくそうではないので、残念だな~。」
こんなことを言いながら彼にポーズをとってもらい記念の写真を撮っていた。
彼らから見るとどう見てもオヤジにしか見えない我々の考えは、彼らには及びもつかなかったのか、それともその逆で彼らの考えがただ単に我々に理解できなかっただけなのか・・・。
真意は謎のままだ。
親水公園へ下る彼らを見送ったら、氷ノ山へ向け稜線を歩き出す。
(9時50分)
見上げる山頂方面は仙谷方面から不穏なガスが流れ、なかなかその全容は見せてくれないが、この付近のブナの樹氷はとにかく素晴らしい。
見上げると、上空に広がる青空ときらきら輝く樹氷とのコントラストがさらに見事に目に映る。
この光景は好条件の下、気温の上がりきらない時間帯に歩く者に与えられたご褒美みたいなもの。
標高を上げるとともに積雪量は増すものの仙谷分岐までは尾根通しなので問題なく歩ける。
ただ、これまではその存在すら顕著でなかったコシキ岩がここまで来ると眼前に立ちふさがるようになり、今ルートで最大の難所を迎える。
ここの雪の状態は氷ノ越え下で経験したのと同様、氷化した古い雪の上にうっすらと新雪が積もっている、一番タチの悪い状態だ。
先ほどの彼らはこの難所をどう攻略したのか?
自身の足元に神経を集中しながらも、こんな思いが脳裏をかすめた。
「あのバイク、どうやって通過したのだろう?」
ここまで来ても彼らのやることは理解できないばかりだった。
この難所を通過すれば山頂はそう遠くないので、慎重にやり過ごす。
大きくなった三角屋根の避難小屋を見上げるようになると、やがて氷ノ山に到着だ。
(11時25分)
山頂は、案の定、三ノ丸方面から上がってきたと思われる人たちで大賑わい。小屋の周りにはあちこちに雪上に腰を下ろした人の輪ができていた。
それもそのはず、穏やかな天候の下、ここ二、三日に降った新雪が目の前に広がる光景を見事に白一色に変えてくれたから、自然とこんな行動になるに違いない。
小屋を覗いてみると、ここはここで多くの人でほぼ満員。
その中には何人もの見覚えのある顔があり、久しぶりの再会に席を空けてもらい少し話もさせてもらった。
いつもなら、ここがある意味目標点なのだが、今日は三ノ丸が当面の目的地なので昼食の店を広げる彼らの姿を恨めしげに横目で見つつも足早に三ノ丸へ向け滑る。
(11時50分)
山頂南では独特の風体に、すぐ彼であることを見抜けてしまった津山・Kさんや、山頂小屋でもお会いしていた、坂ノ谷へと下られる神戸・O崎さん、K山さんたちとも話しながら三ノ丸へ向けのんびり歩く。
三ノ丸に到着し、避難小屋内でようやく遅めの昼食。
(12時35分)
腹ごしらえができたら、ここに来て、ようやく今日のメイン・イベント、滑降だ。
(13時40分)
その前に、天気は上々でこの上ない条件下でも戸倉側に下るとなると話は別で、その都度緊張感を持たねばならず、今回も同様。方向確認はしっかりやる。
油断するととんでもないことになるので、この状況でも地形図、コンパスは欠かせない。
コンパスで目標を定めたら東屋の先から快適に滑る。雪の状態はすこぶる良く、思い々々にシュプールを描く。
あっという間に樹林帯に達し、振り返り見上げれば真っ白な大雪原が広がり、青空と雪面を分ける一本のスカイラインが走る。
これぞ三ノ丸!
至福の時はそう長くは続かないが、傾斜がゆるくなってからも次々にこの尾根の主のような巨大なブナやミズナラがあらわれ気持ちを癒してくれる。
しばらく下ると目の前にこれまでに見たこともないほどの巨大なブナが現れた。
見た目はいかにも元気がなく今後の寿命も心配なほどの容姿だが、これほど老齢で大きなブナは見たことがなく、まだまだ氷ノ山にも知らないところがあるのだと驚かされた。
カラマツのピークを過ぎると、これまで三ノ丸から続いていた先行者のシュプールが左の谷筋へと下ってしまい今後の針路に少し頭を悩ませたが、ほどなく目的としていた林道をSさんが右手下方に発見。
短く滑ると無事、林道に下山した。
(14時55分)
「あとは林道を下るだけ。」
安堵感からか、ここにきて雪のテーブルを造りティー・タイムとする。
一息ついたせいか、ここから旧戸倉峠への林道は思っていた以上に距離があり意外と遠く感じたが、やがてはその峠をすぐそこに見る三叉路に到着することができた。
(15時55分)
あまりスキーの走らない個所もあったが、スキーを脱ぐことなくここまで下れたら文句はないだろう。
下って来た三ノ丸方面を見上げても、そこから西へと延びる西尾根の上部付近ににわずかに白く輝くところが望めただけだったが、そこが小さく見えたことで余計にずいぶんな距離を下ってきたことを実感することができた。
落折山から下山され、目と鼻の先の鳥取側のこちらまで来られていたご夫婦と短く話したあと、切通しの峠をあとにした。
(16時00分)
この旧道ではスキーがよく走り、調子に乗って飛ばしていると・・・、
雪が切れている個所があり直前で気づきジャンプしたものの、時すでに遅し。
一歩間違えば大ケガをするところだった。
「危ない危ない・・・。」
その後、R29、旧トンネルまではあっという間だった。
すっかり雪の消えた旧道を歩くと駐車地点もすぐそこだった。
(16時15分)
同行のお二人のおかげで決して単独では成し得ないこのルートをトレースでき、また一つ氷ノ山に新たなルートを見いだすことができた山行だった。
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