風雪厳しい燕岳に、越年登山行ってきました。
モルゲンロートの表銀座縦走路と、槍・穂高連峰
もちろん、この時期ならではの厳しい条件下でしたが、その中での核心は思わぬところにありました。
燕岳
有明山神社駐車場で短い夜を明かし日の出前に目を覚ますと、見事な焼けようの真っ赤に色付いた有明山が迎えてくれた。
夜の明けきらぬ中、これからの山行を祈願してお参りしよう。
真っ赤に焼けた有明山と同じように、境内もまた厳か以外に言葉が見つからない雰囲気だ。
参道の本堂直前には、この時期には珍しい『茅の輪』が設置されていたので、慣例に倣って輪をくぐり本堂へ。
そもそもが有明山をご神体とするお宮だからご利益的には直接は関係ないだろうが、明日、至近の燕岳に登るからといって神様はそんなことでお怒りにはならないだろうから、そこは普段にまして丁重にお参りすることで少しばかりの願いを聞いてもらうことにしよう。
準備ができたら昨晩は車のお尻同士を突き合わせて車中泊していた、大分から来たというAちゃんと一緒に歩き出す。
宮城ゲートで
彼女は今回の山行をソロで計画したようとしたようだが、あいにく個人では部屋に空きがなく、それならと燕山荘主催のツアーに空きがあることを見つけて、今回の大遠征になったとか。
大分から遥々来ることはもちろん、ひとりでもさらりとこんな計画をたてるのだから、なかなか只者ではない。
ここに来るまでにすでに2泊してきたということだから昨夜が3泊目で、このあと山中で3泊、下山後はさらに八ヶ岳・渋ノ湯に移動して黒百合ヒュッテ泊で天狗岳にも登って、ようやく大分へ帰るというから、世の中色んな人がいるもんだ。
また、その移動手段が今となっては超レアなMT(マニュアル)車で、山小屋泊以外は基本、車中泊と来たから、もうどうしようもない。
で、そんな彼女と中房まで13キロメートルもある長い長い林道を共に歩いたのである。
上高地なら上流に向かって横尾の少し先までの距離に匹敵するが、あちらは、わずかに高低はあるものの、ほぼ平坦に近いといえるものの、こちらはといえば神社の標高が約750メートルで中房温泉が約1.400メートルだから高低差にして650メートルもあり、その道中には信濃坂という上りにあっても、しばらく下っている坂も存在して、現実はそれ以上の高低差がある、このような道を歩かなければ登山口には着くことができない。
もう少し若ければ気力に任せて、さらに後の登山道となる登りも含めて一日で燕山荘まで登る選択肢もあっただろうが、そんなことは決してしない。
今日は中房温泉までの歩きのみとしなければモチべーションが保てそうにないのがとっても悲しいことであり、それが現実的なのだ。
要はハイクアップ前日は温泉に浸かってのんびりしないと、その後の山行へのモチベーションがキープできない歳になってしまっただけのことだ。
妖精の森
この距離を一人歩くのはどれだけ退屈なことか、それとなしに想像できそうなものだが、彼女のお陰で長い道中も愉しい時間となった。
有明荘や夏の駐車場のある橋まで来ると、あと少しだということは分かっていても、その先に急坂のヘアピンカーブがあるだとかが分かっているばかり、なかなか足が前に出ない。
ようやく合戦尾根の登山口に着いたのはゲートを出発してから4時間以上もの時間がたっていた。
朝のスタートが遅かったので、時間を加味してもっと早い時間に神社を発てば時間的には一日で稜線にまで達することは不可能ではないが、なにぶん気持ちが付いていきそうにないから、これで正解としよう。
登山口に来るのは何回目かだが、さらに奥にある温泉まで足を延ばすのは初めてだった。
中房温泉、招仙閣
通された部屋はいわば大部屋で、そこに5人だったので広さ的には十分に余裕があり、何も問題もなく一夜を明かすことができた。
中でも、露天風呂は外の空気が感じられるので気持ちよく入ることができ、内湯にはない解放感もあって、ことさらに温泉気分に浸れる。
中房温泉
2025年1月1日 快晴の朝となった
きらめく星空に、安曇野の夜景と八ヶ岳、富士山、南アルプス連峰
元日の夜明け前
雪煙を吹き上げる稜線
素晴らしきモルゲンロート
雪面は元来の純白から、うす紅、オレンヂ・だいだいへと変わる
厳寒期の凍てつく燕岳
下山後は預けていた荷物を回収するため下山口から温泉まで短く足を運ぶ。
これは人それぞれだが、いくら車道とはいえ、これからまだ13キロメートルの歩きが控えている中で温泉に浸かることがどうなのか。
以前、高天原温泉でこれよりも、もっと極致的な山行途中での入湯を経験したことのある者からすれば、ここは「車道歩きだし、基本下りだし。」ということで、安易に考え温泉ももらうことにした。
時間の関係で昨日は入れなかった大浴場に案内され扉を開けると、誰もいない。
中房温泉、大浴場
こんな考えの人はあまりいないのか、あるいはこちらの考えが他の人とちょっと違うのか、それはさて置き、貸し切りでゆったり入ることができた。
合戦尾根の荷揚げ小屋の少し下方で、早朝に燕山荘で顔を合わせていたAちゃんに追い付いた後は、また一緒に歩く。
ここから先は下るのみと考えていた信濃坂のてっぺんで一本入れて重い腰を上げてからも、短いながらわずかに上り基調の場所もあって地味に長い。
上る際、一本入れた変電所さえ、なかなか見える気配がないのはどういうことだ。
確か、ゲートからしばらく上って『2.8キロ』の標識があったはずだから、それそれを見つけてからでも、まだ2.8キロあるというのに、その標識さえ中々現れてはくれない。
有明山の表参道登山口で腰を下ろすグループがいたのをみて納得した。
長いと思っているのはみんな同じなんだと。
ようやく、警察が詰めていた小屋らしき人工物が見えると、宮城ゲートはすぐそこだった。
神社まではさらにもう少し歩かないといけないが、人家のすぐそばにたたずむ一頭のニホンカモシカを目にしたことで、このしんどさが、わずかながら和らいだ。
たわいもない話に長々と付き合ってくれたAちゃん、君がいなかったらもっと長く感じたに違いない。
袖振り合うも他生の縁、一期一会の山旅を本当にありがとう。
久しぶりの出動となった23年選手の我がランクル70(ナナマル)
駐車場に着いた後、一緒に有明山神社に新年の参詣をして、こちらは家路へ、彼女は今日の泊地、渋ノ湯へと車を走らせた。
山行記録は ヤマレコ で
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