2010年5月9日

04/05/10 千畳敷に想う

パタゴニア

夜の宝剣岳
バス、ロープ・ウェーを乗り継ぎ山上駅とホテルを兼ねた建物の外に出ると、目の前に残雪のカールを従えたギザギザの岩峰が目に飛び込む。

中央アルプス、千畳敷カール。

この景観に関してはそれぞれの感覚があろうが、自身の第一印象は大変失礼ながら
「ずいぶんスケールが小さいな~。」
だった。

多くの残雪や見上げる岩峰群はアルプス的な景観を創りだしているものの、全体にもっと広がりがあって、広大なカールが広がっているのかと思いきや宝剣岳稜線がすぐそこにそびえ、見えている山全体がやけにこじんまりとしか見えなかった。

見える稜線までの実際の標高差は300メートルほど。

知らず知らずのうちに穂高・涸沢をイメージしてしまっていたのが、ただいけなかったといえばそれまでだが、涸沢は日本でもっとも代表的な圏谷地形の一つだから、そこをイメージしてこの地を訪れればこんな印象になるのも仕方あるまい。

宝剣岳と和合山(右)正面が宝剣山荘へと向かうルート
二年前の冬、目の前に見えるカールで雪崩が発生し、遭難事故が起きた。

事故で犠牲になったうちのひとりが山岳写真の第一人者だった岡山の塩田卓夫さんだった。

「一体、どんな環境で遭難は起こってしまったのだろう。」
こう思ったことをよく覚えている。

北穂に何百日と通い、北穂周辺については精通されていた方が、あろうことかこんななだらかな地形の、一見すれば穏やかそうにも見える場所で雪崩に巻き込まれようとは、誰とて想像できなかったに違いない。

確かここへも何度も足を運ばれていて、その危険性は百も承知されていたはず。

ただ、その時は稜線上にある山小屋に向かっている最中の出来事だったと記憶しているので、天候に恵まれなかったうえ、もしかしたら行動の時間帯がやや遅かったことがその一因だったのかもしれない。

せめて、もう少し先の通称オットセイ岩の下付近まで達していれば巻きこまれる危険は少なかったはずだが・・・。

下山前、ホテルの人から聴いた遭難現場近くには、この日も和合山方面からの小さなデブリ跡があった。

小さな谷が密集しているすり鉢状のこの地形では降雪後それらの谷筋からの雪崩は避けられず、この時期にあっても雪の締まっている早い時間帯に行動すべきと痛感させられるが、それにしても現場を目の当たりしても、色んな意味でなお一層
「本当にここで?」
を想うばかりだった。

HPは
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