90年、結婚したばかりの夏、山らしい山が初めての家内を伴い大山を縦走した。
今になって想えば、怖いもの知らずで、ずいぶん無謀なことをしたものだとあきれ返る。
弥山から剣ヶ峰、天狗ヶ峰を経てユートピアまで下ったとき、その人に出会った。
数人の若い女性に辺りに咲き乱れる花の名前を丁寧に説明されている姿を見て
「花の名をよくご存知なんだな。」
このときはこう思っただけだった。
その人は小屋に長期滞在して写真撮影とのことだったので、少しの足しにでもなればと、残っていた食料を差し入れこちらは下山した。
翌年の秋、”山と渓谷”を手にとって驚かされた。
『赤焼けの独立峰―伯耆大山の冬』
そこで目にした特集グラフを飾る写真の撮影者の名は、そのときザックの片隅で見たものと同じ。それは、まさにこのときの人、吉田昭市さんだった。
そして、グラフを飾ったうちの一枚が振子山からのもので、 赤く焼けた東壁はこれがあの大山かと思わせるほど斬新だった。
以来、いつかはこの光景を見てみたいと思うようになった。
そして、ようやく振子山から朝焼けの東壁を見る、その日を迎えることができた。
グラフで見たような見事な赤ではないものの、その人と同じ光景を今、目の当たりしているかと思うと感慨深いものがあった。
こちらは初めてのことだったが、氏は幾度この光景を目の当たりしたのだろう。
大山に足を運ぶたび、ずいぶん失礼なことをしたと反省の意とともに氏のことを想い出す。
今はどうされているのだろう・・・。
再会し、存分に花の名前を聞いてみたいのだが、叶わぬ夢か・・・。
2007年11月25日
随想・ユートピア
Posted by (ま)。
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