2021年9月22日

18-20/09/21 7度目?の正直 main ver.

これまでに意識した山行を6度も経たうえで、今回ようやくその山頂に立つことができました。

草モミジと大伽藍の山頂

パタゴニア

何と言われてもいいんです。

この山頂に立つのに3年半の歳月と、少しばかり大袈裟に言うと6度のトライを有したうえで、何を言われてもそれを受け止めれるだけの光景を目の当たりすることができたのですから。

今回の山行ですら、本来はお盆に計画したものですが、あまり記憶にないほどの長雨で延期したものでした。

それも加味すると8度目ですね。

しかし、それだけの想いを長らく蓄積した甲斐あって、この山のピークに立ち、そこからの光景を見ただけにとどまらず、山行全体としての素晴らしさを、ひしひしと感じられる、言わばこれまでの山行や、これから先の人生においても、おそらくもうないであろう最上級に記憶に残る山行となりました。

雲ノ平、奥日本庭園より黒部五郎岳と赤木岳への稜線

あいにく、出足の日は雨の一日でした。

雨中の積雪深ポール
風がない場面では傘の出番です

なので、画像はほぼありません。

よかったのは薬師沢小屋の、やまとけいこさんに一年振りに逢えたことくらいです。

Day 2

確かに、天気が悪くてもそれなりの山行をできる山も、あるにはあるでしょう。

でも、今回のように例え一日でもピンポイント的に絶好の好天に見舞われた、やはりいい日に巡り合いたい。

今回のような山域ではなおさらに、これが本心です。

前述のとおり、一日目はずっと雨でした。

泊地が薬師沢という、そもそも展望を得ることができない地だから、これもよしとします。

アプローチの天候はお構いなしで、関係ありません。

深夜の黒部川と赤木岳稜線付近に沈む月

深夜、月が沈んだ後でも、まだ星は出ていませんでしたが、朝になるとすっかり晴れ上がり、これから向かう雲ノ平の光景は否応にも期待が高まります。

黒部川本流と薬師沢出合いの河畔に建つ薬師沢小屋から目の前に架かる吊り橋を渡ると物語の始まりです。

黒部川(左右)と薬師沢(右奥から)の出合いに建つ薬師沢小屋
昨日の雨にもかかわらず水量はさほど多くなかった

しばらくすると、ようやく樹間から北ノ俣岳と
赤木平東面の黄葉した山腹の様子が見えた

天空へのルートへと誘われ、その一角に立つと、次々に夢のような非現実空間が現われます。

このルートを歩くのは16年振りのことですが、その時は終始雨に降られ天空の光景を目の当たりするのは今回が初めてのことで、当然ながらワクワク感は抑えられません。

その台地の一角に足を踏み入れると針葉樹の枝先の上空には真っ青な空が広がり、樹間を縫うように付けられた木道を行きます。

ここでの光景を人間の網膜に映し出すには無理があり、この時ばかりは魚の眼が必要だと感じさせられるほどの空間が広がってきました。

緩やかに高度を上げ、遮る樹々がなくなると、そこは自然が造り上げた天空の楽園のリアルな入り口です。

エントランス的な位置のアラスカ庭園より
左から水晶岳、祖母岳、祖父岳

真新しいときの標柱

ハイマツの上に黒部五郎岳(右)と
笠ヶ岳、抜戸岳、秩父岩稜線が浮かぶ

三俣蓮華岳の肩というより左腰あたりに槍ヶ岳

蒼い空に緑の樹々。周りにはぐるりと北アルプスの名峰がずらり居並びます。

草モミジの黄葉が進み、所々のナナカマドの赤色はワンポイント以上の存在で彩を添えます。

同じような緑にあっても背丈の低いハイマツとピンピン尖った針葉樹は見た目や色合いが対照的で、固有の光景を創りだす要素のひとつです。

しばらく歩くと、先ほどは勿体ぶって北鎌尾根の、それも独標しか見せてくれなかった槍ヶ岳も、尖ったピークの穂先を見せてくれるようになりました。

どこから見ても特徴的なので、すぐそれとわかるでしょう。

画像で見ると小さくしか映っていない印象ですが、実物を目の当たりすると、いつもながらずいぶん大きいです。

どこから見る姿も大好きなので、いつも山頂部がいつ見えるかと探しながら歩いている自分がいるのです。

濃淡の緑が多いので奥日本庭園かな
赤牛岳と水晶岳

同、薬師岳と大日岳、立山

雲ノ平へと延びるストリーム

チングルマの綿毛と水晶岳

雲ノ平山荘と水晶岳(左)

山荘外観と左に黒部五郎岳

明るい館内

雲ノ平食堂のメニューボード
折角なので軽食をとりました

トマトソースパスタと、これはザクロ酢ジュース

旧、山荘エントランス
外観だけでなくエントランスの位置も変わっていました

チングルマと山荘

水晶岳と、その姿を投影するスイス庭園の池塘
谷を隔てた向こうにそびえる水晶岳の様がそれっぽい

薬師岳、大日連山とスイス庭園
右下に高天原

雲ノ平と北ノ俣岳稜線

何というカッコよさ、黒部五郎岳と遠望白山

雲の平と、たおやかな太郎兵衛平、薬師岳

ここから見えているメインのピークは、至近に大きく両手を広げたように横たわる水晶岳と、優美な姿の薬師岳ともいえますが、あくまで雲ノ平は足もとから天空に至る、見渡す限り360度に広がる空間や空気感、全体的な雰囲気を愉しむ場所であり、この後に踏むことになるいくつかのピークは、しばし足を止めてそこから見える景色を愉しむところと言えそうですね。

祖父岳山頂ケルンと薬師岳

祖父岳より黒部五郎岳~北ノ俣岳と加賀白山

祖父岳山頂からの眺望は今山行中で一番かもです。

同、誰もが知ってる槍・穂高連峰
西穂高岳稜線の下方の台形は樅沢岳

黒部川源流部の黄葉と三俣山荘(上中央)

行動食の文明堂のミニカステラを見ると
気圧のせいで膨張した外装の文字が中の包装紙に映っていた

鷲羽岳(中)は知ってても、ワリモ岳(左)は行った人しか知らないかも

同じく、三ツ岳(中央左)野口五郎岳(中央右寄り)も
左奥に鹿島槍ヶ岳の双耳もみえる

槍ヶ岳と堂堂の鷲羽岳

鷲羽岳、鷲羽池と硫黄尾根、北鎌尾根、槍ヶ岳
左の三角錐は常念岳

この光景は、初めて北アルプスに足を踏み入れた裏銀座縦走時以来、実に40年越しで記録、記憶に残せた光景でした。

当時も肉眼では見たはずですが、持参のカメラが壊れたため写真やフィルムとしては残っておらず、地形図の裏にこの光景を鉛筆で描いた記憶がありますが、それも今は行方不明です。

槍ヶ岳については、このようなこともあり鷲羽岳からの姿は他の人以上に個人的想い入れがあり、より素晴らしさを感じたかもしれませんが、客観的に見ると祖父岳からのそれの方が素晴らしいと感じさせられました。

展望抜群、祖父岳にもスポットを当ててあげるべきだ

五郎平よりみる黄昏の薬師岳と
黒部川へと高度を落とす雲ノ平台地

Day 3

黒部五郎岳はこれまでに何度も挑戦する機会があったにもかかわらず、そのたび跳ね返されてきましたが、回数を重ねるにつれ登頂するにあたって北ノ俣岳からのルートと五郎小舎からのルートのどちらからにすべきかも、かなり悩みの種になってきたのも事実です。

おそらく、すんなり登頂していれば、それはそれでどちらのルートからでもよかったと思うのですが、ここまでくると黒部五郎岳の代名詞的な、あの立派なカール底を経て山頂に立ちたいと思うようになってきたのです。

うまく朝日が差してくれるかどうか、要は天気がイイかどうかが最大のネックですが、季節柄、五郎平を泊地してカール底に入れば、早朝、真っ赤に焼けた山頂部を見上げれるに違いない。こう考えました。

夜明け前の様子
あいにく上空には雲がかかっていた

小屋を出た時は昨日ほどの好天ではありませんでしたが、林を抜けてカールが見えてくるほどにガスが晴れ、目論見通り山頂を見上げるカール底の雷岩をわずかに見上げるあたりでモルゲンロートの山頂を目にすることができました。

こちらのルートで大正解でした。

モルゲンロートの五郎カール

カール内で火の手が上がってませんか?

チングルマと奥に三俣蓮華岳から双六岳への稜線

槍の穂先が双六岳の左肩というより左耳みたいにちょこっとだけ

右に目を転じれば穂高連峰と大ノマ岳、秩父岩

至近になった山頂

右の尾根に乗り上げる手前から見る山頂部は迫力満点で見応えがありましたが、それ以上に感激させられたのは尾根に乗り上げたその瞬間、西側の北ノ俣岳、薬師岳方面が目の前に現れたときでした。

尾根に乗り上げると北ノ俣岳、薬師岳が目に飛び込む

全く予期していなかったのでなおさらです。

見える稜線はこれまでに何度も跳ね返されてきたルートなので、良いか悪いか、もちろん今となれば悪いはずはないのですが、この場においてどれがどのピークかがよく分かるのは嬉しいばかりです。

きっと、あそこがさんちょお

「これはどこだったかな~」

山頂へと続く右に背丈の低いハイマツの登山路は、これまでにどこかで目にしたルートとよく似た光景でした。
(左右は全く対照的ですが、おそらく、ここからでもさほど遠くない笠ヶ岳から抜戸岳を経て秩父岩へ向かう稜線で見た光景のような気がします)

視線の先に何人かの人影が見えます。声も聴こえて来ました。

最後は心の中で、あたかも年数を数えるが如くに数えました。

「ごぉ、よぉん、さぁん、にぃい、いぃちっ。」

やりました、やっと来れました、感涙、感激の黒部五郎岳山頂到着です。

黒部五郎岳より雲ノ平を見晴るかす

ココに来るのに実に3年以上かかりましたから、これも当然でしょ。

この間に、ある意味、他の人のレコを指をくわえて見るばかりでしたが、ようやく自身の眼でこの光景を目の当たりすることができたのでした。

槍・穂高連峰方面はガスがかかることもあり、あまりいい表情は観れませんでしたが、ここに達したことが満足だったので、それはあまり大きなことではなくなっていました。

肩まで戻るとガスは晴れ気味だった

黒部五郎岳北西面のハイマツと薬師岳、赤牛岳

このあとの行程では時間とともにガスが湧き、これまで何度も訪れた北ノ俣岳は、これまでにないガスの中。

今日に限っては、これもno problem.

〆の小屋メシは太郎ラーメンと五郎小舎の取りおいていた残りのお弁当

太郎兵衛平からの下山路も展望は、ほぼありませんでした。

アラレちゃんから折立までが、これまでになく長く感じたのは、この山行でビッグエリアでのミッションをコンプリートしたことで、きっとこれまでの想いが詰まっていたからに違いないと、勝手に思っている次第です。



長々の稚拙な文章と画像にお付き合いいただいた諸兄に、お礼申し上げます。

ありがとうございました。

ーー

以下、備忘録

19日夕刻に発生した地震時は黒部五郎小舎の建物のすぐそばを歩いている刻でした。

傍らの建物がギシギシ音を立てるので、はじめ何か分からずにいましたが、少し経ってもまだ音がしていたので、そこで初めて地震だと理解しました。

外を歩いていましたが特に体が揺られることはなかったので、この音を耳にしていなければそれと理解できないほどの感じでした。

大したことはないと思っていたら、この後も何度か余震のような揺れがあり、以降はどれも小屋内でしたので、やはり屋外にいるのと屋内では感じ方がずいぶん違うものだと実感しました。

一方で、この小屋の耐震化は申し分ないとも感じました。

今回の地震の性質はよく分からないので一概には言えませんが、寝床で体を横たえていても大した不安はなく、現地の震度が3とか4とかなら、阪神大震災で自宅で震度4を体感したことを踏まえると、耐震的には当時、築二年未満の二階建ての我が家と比べても、この小屋の方がずいぶん安心感はありました。

自宅だったら一目散に外に飛び出すレベルです。

帰宅後、メディアで取り上げられている画像や映像を見てびっくりです。

なかでも、槍ヶ岳山頂にいた人たちは心底生きた心地がしなかったでしょう。

ほぼ震源地の槍や穂高といった岩山では岩盤の崩落、落石が相次いだようで、この状況で人はなす術はありません。

残念ながら事故は起こってしまったようですが、発生時刻が日没近くの夕刻で、多くの人がその日の行動を終えていたので、まだそれも被害が最小限で済んだのがせめてもの救いです。

コロナで大変なこの時期に、また一つ気にかけなければならない懸念ができて、何ともやり切れない思いです。

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